第7回 星野立子賞 Tatsuko Hoshino Award
星野立子賞
俳句は読むのは好きですが、およそ自分が俳句を作るとは思ってもおりませんでした。ですから、このように俳句で受賞するなんて思ってもみませんでした。
今、私は95歳ですが、95歳にもなってこんなに嬉しいことがあるとは予想も出来ませんでした。まだ、現実のこととして受け止められずにおります。でも、先程から選者の皆様のお話を伺って、「そうか、そうか、」とようやく納得するようになりました。この授賞式で選者の先生方の講評をお聞きして、何か自分のいただいた受賞の会ではないような気持ちがしていて、とても面白くて、夢中で聞かせていただきました。
今の若い方の新しい俳句も随分と読んでいます。本当にどこまで伸びるか分からない日本の文学だと思います。外国の人も随分と俳句を作っているように聞いておりますし、これは世界にまでまだまだ拡がっていく文学ではないでしょうか。
立子先生には1回しかお目にかかっておりませんが、初めて会った名も知らぬような後輩に、あれほど優しく、豊かな愛情を注いで下さった立子先生のことを、私は見習おうと思って、その後、人に会うときにはずっと真似をしていますけれども、なかなか上手くいきません。今回、その立子先生のお名前を冠した星野立子賞をいただく運びになって、ビックリ仰天して、改めて立子先生の俳句を一生懸命に拝見しました。それほど難しい言葉を使ったり、特別な表現をしている訳ではない何気ない句なのですが、それが一度俳句になるとずっと心に残るんです。人物そのもの、お心そのものが俳諧の世界に溶け込んでいるような感じがします。
いつもは「おめでとう」という立場で表彰式を過ごすのですが、今日は東京九段の桜満開のよき日に、多くの方々に御参集いただき、この晴れの受賞の式で、沢山のお祝いまでいただき、本当にありがとうございました。
この度は星野立子新人賞をいただきまして、誠にありがとうございました。
いつもはのんびりした生活をしていて、どちらかというと家に篭ったような暮らしをしています。今日は春らしい日に華やかな場にでてきてしまって、恐縮しています。
俳句はやっぱり自分が見たもの、聞いたもの、体験したことなどをもとに書いております。ことさら自分の住んでいる所とか生まれた町を詠んでいるわけではないのですが、善くも悪くも自分らしくいられる町での暮らしというものが私の俳句の中にはもしかしたら入っているのかもしれないなと今回50句をまとめながら感じました。
思い返せば子どもの頃から飽きっぽくて熱しやすく冷めやすい自分で、何か夢中になってやる体験があまりないまま大人になってしまいました。俳句と出会って7年が経過しますが、自分の人生の中でこのような賞をいただくことがあるなんて夢にも思っておりませんでした。今回受賞をいただいたのは、これまで自分がやってきたことを評価して頂いたと思っております。そして、これから次の新しい1句を生み出すために背中を押していただいたような気持ちでおります。そのことに一番感謝しております。
この度は栄えある賞を頂戴しまして誠に光栄でございます。
日頃、所属している群青で力強く引っ張って下さっている櫂未知子先生、佐藤郁良先生、それから大学の俳句会でご指導下さる行方克巳先生、西村和子先生にも改めてこの場を借りて感謝申し上げます。いつもありがとうございます。
昨年、父がオーストラリアに赴任したため、母と妹も一緒についていきました。それ以来、色々と家族との事は思い出す事もあり、今回応募しました作品には家族との暮らしを想いながら50句をまとめさせていただきました。もちろん、今までずっと20年間家族に育ててもらったことには感謝したいと思いますけれども、この20歳という年齢を境に一人にしてくれたことにも感謝したいと思います。星野立子先生とそれからその後に続く俳句の歴史に想いを馳せながら一日過ごしたいと思います。本日は誠にありがとうございました。